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思い出

538 :おさかなくわえた名無しさん 2022/04/14(木) 12:24:02 ID:dOCBVQ87.net
女子校の中学高校時代にすごく憧れてたひとつ年上の男忄生がいた
違う学校学年だったけど地元の同じ塾に通っていてなんとなく知り合った
彼は控えめな忄生格だけど運動部と芸術系の趣味に入れ込んでて将来それで
生活できたらいいなって何度も語って誰にも優しくて塾でも断トツの成績だった
彼が大学に入学してそのまま塾の講師になってからもプライベートで遊んで
くれてたけど忙しいらしくだんだん疎遠になってついに連絡も取らなくなった
恋人どうしにはなれなかったけど今でいうリア充のような楽しい青春を送れたと
思って自己満足してた
20年以上経ってふと思い出して彼は今何してるのかなってネットで名前検索
したら会社を経営しながら芸術系の趣味も賞を獲るような活躍してることを
知ってしまい心の中のざわざわが止まらない


314 :おさかなくわえた名無しさん 2022/03/12(土) 11:27:54 ID:OQOKkqIy.net
俺の嫁さんとの出会い

10年ほど前の夜道で、結婚する前の嫁さんがひったくりにあった。
その時にたまたま居合わせた俺が彼女を助けた。
犯人を捕まえたりはできなかったが、
警察に連絡して、彼女があれこれ手続きをしている間にコンビニで食べ物を買って来て、嫁さんをビジネスホテルまで送り届けた。
ホテル代と、とりあえず明日の分の電車賃として1万円渡しておいた。
嫁さんはお礼がしたいと連絡先を聞いてきたが、困っている人を助けたまでで、そんなつもりじゃないと何も告げずに帰った。

それからしばらくして、偶然、俺と再開した彼女は、それをきっかけに付き合い初め、
今は結婚して子供にも恵まれ、幸せな家庭を築いている。
今でも時々、「あのときの俺は格好よかった」と周りに話しては、「またその話~?」と苦笑いされている。

282 :名無しさん@HOME 2013/05/27(月) 18:11:46 0
中学入学直後の話。

中1のときの担任が学園ドラマに変な影響を受けたような熱血教師。
事あるごとにクラスの協調・団結について語り、休み時間に無口な奴が一人で本を読んでたら
「君も恥ずかしがらずにみんなの中に入るんだ!」
とかいって連れ出してほとんど無理やり体育館かグラウンドに連れて行ってクラスみんなと遊ばせようとする。
その先生は少しウザかったけど、クラス中は比較的良好だった。

で、その先生、毎月一度、その月が誕生日の奴の誕生会をクラスのみんなでやろうと計画。
さらにそのとき最初の一回をサプライズパーティーにすることで協調。団結をよりいっそう深めようと考えたらしい。
先生は4月生まれの人を除いたクラス全員に声をかけ、計画を練った。
その計画は教室以外の掃除場所は普通に掃除して、その時間中に教室に飾りつけ→掃除終了時にクラスメートが今月誕生日の奴に「ちょっと話が」といって教室に誘導→教室に入ったらみんなで「ハッピーバースデー!!」というもの。

て、4月生まれの奴が全員教室以外の掃除担当のときに誕生会を実行。
そうとも知らない4月生まれの生徒(内一人が俺)、普通に掃除を進めていく。
そして掃除が終わったとき、同じクラスで、唯一小学校も同じだった女子Aが俺に声をかけてきた。
「(俺)君、この後ちょっと用事が…」
ただ俺、この日はほしかったゲームの発売日、そして俺は。
先生でもないし、今まで話したこともないAの話=重要度は非常に低いと判断してしまい、Aが話し終わる前に
「悪い、用事あるから明日にして!」
と言い残してそのままダッシュで帰宅した。

765 :名無しさん@おーぷん 2014/09/27(土) 20:48:53 ID:8O86ZE79x
まだ20代前半の頃のはなし

私は上京して一人暮らしをしていた。
そこへ幼馴染のA子がアポなしでやってきた。
久しぶりに会うA子にすごくビックリした。結婚してA子も東京にいるのは知ってた。
まだ携帯もネットも普及していない時代だったから、年賀状で近況を知らせ合うのが当たり前。
A子の顔は痣だらけで、こんな言葉は当時はなかったけど、DⅤだと察しはついた。
話をきくと、A旦那は賭け事で借金がかさみ、A子に風イ谷へ行くように命じた。
A子拒否。怒り狂った夫に㬥カで脅され、監禁されたけれど夫の目を盗んで着の身着のまま逃げ出してきた。
年末の寒い中、薄っぺらな上着を脱いだA子はほつれてポロポロのセーターに膝の抜けたジーンズ
穴の開いたよれよれのスニーカー、靴下も履いてなかった。
手にしているのは私の年賀状だけ、お金がなくて半日歩いてやって来たそう。
庇ってやろうにも、生活の面倒見てあげるほど私もお金を持ってない。
年賀状等もすでに何通か送っているので、私の住所がばれるのも時間の問題。
私の母が義父にDⅤを受けていたのに警察が何もしてくれなかったし
都会の警察は違うかもしれないけれど、警察に呼び出された義父が帰宅してから
母にさらに㬥カを振るっていたのも見ていたので、警察もダメだと思った。
私も東京に知り合いがいるわけでもなく、同僚とはこんな修羅場に巻き込む程親しくない。
A子にしても、助けてくれる知り合いがいるなら私のところになんか来ない。
とりあえずA子を風呂に入れて私の服を着せて、二人で途方に暮れていた。
A子はいくらかお金を貸してほしい、きっと返すから、と言って泣いた。現実的にそれしかない気もした。
その時、ピンポンが鳴った。
私たちはドキドキして顔を見合わせ、私は玄関にまさに忍び足で向かい、ドアスコープで外を見た。
玄関の前にいた男と目があった。
ビックリして飛びのき、声が漏れないように手で覆って部屋に戻った。
私は無言のままA子の手を握って、首を振った。
私はめまぐるしく考えた。逃げなきゃ、と思った。アパートは二階だし、でもベランダからどうにか…
とベランダのある寝室に使っている部屋の方を見た時、心底驚いた。
心臓が一瞬止まって血の気が引いて、次に顔がかーっと熱くなった。
閉めてあったふすまが開いていて、男が二人立ってた。
男たちがニヤリとして、一人が玄関に向かった。
玄関の開く音がして、男たちが数人、入ってきた。
妙なもんで、ああ、土足のままだよ、なんて思った。

750 :おさかなくわえた名無しさん 2020/07/14(火) 00:30:54
この先誰にも話す機会がなさそうだから墓場行きだけど、小学校の頃、無理心中の被害者の子と最期の日に一緒に帰って喋った。
その子は弟の同級生だけど家が近いからよく喋ってた。多分同級生には言えないだろう家の事情を学年が違い校内では節点のない私にはよく喋った。
お父さんが㬥カを振るうと。
最期の日は他愛ない犬の話をした。
その夜、弟と妹と共にお母さんに杀殳された。お母さんは多分今も生きてると思う。
お葬式に行ったら、その子のお父さんが泣きじゃくってた。
ウーウー言いながら号泣してて、どこか芝居がかって見えて、そんなに泣くなら毆らなければ良かったじゃんと思った。
もう四半世紀以上前の話。ネットのない時代だから検索しても出てこない。
あの子と別れた家は別の家が建っている。犬はボランティアの人にもらわれたと聞いた。
お母さんは多分まだ生きてるだろう。お父さんも。
今と違って簡単には離婚できない時代。だからお父さんはやりたい放題。家は結構お金持ちだった。
地区の行事を率先してやる行動力のあるお父さん。典型的な外面のいいDⅤ野郎だと今なら看破できるのにネットのない時代はお母さんは堪えるしかなかった。
だからと言ってお母さんに寄り添う気持ちはない。友達を、妹や弟を杀殳さなくてもいいじゃんと恨む気持ちしかない。
私が母親になってもそれは変わらない。私がオープンな時代に、女も生きて行ける時代に子育てしているから?
もう時間がどんどんあの事件を薄れさせていく。ネットには資料もなく、人の記憶の中にしかない。資料はどこかに行ったら読めるのかもしれないけど、私にはわからないし、わざわざ読みにいく人なんてもういないだろう。
弟も、当時小2。あの子のことはほとんど覚えてないだろう。
だけど私はいつまでも思い出してしまう。タヒんだ実感もないあの子のことを。特に友情も感じていないのにただただ可哀想としか思っていないのに。
でも、今も生きてるだろうお父さんとお母さんに、もし会えたら何かを言いたい。今もどこかで生きてるんだろうなあ。

304 :可愛い奥様 2011/02/03(木) 21:29:04 ID:Eux230cG0
では私の黒い過去を・・・

20年以上前の中学生の頃だが
中身が詰まった財布を夜道で拾った事がある
30万弱が入ってた
30秒位ものすごく悩みぬいてパクる事にした

千円札は即自分の財布に入れて大丈夫と判断したが
1万円札は今使うのは危険と判断し時が熟すのを待つことにし、
CDのケース裏に分散して封印した
社員証や免許証も入ってたが、2ヵ月待って川原で燃やした
悪用も考えたが冒険は冒したくなかったので。
燃えカスと財布はさらに1ヵ月後にちょっと遠くの山に行って森に埋めた

大学に入って上京した時解禁して少しづつ堅実に使った
完璧。

墓場まで持っていくつもりだったけど
このスレなら告白してもいいよね
落とし主さんごめんなさい そしてありがとう

875 :おさかなくわえた名無しさん 2019/05/12(日) 02:03:42 ID:4jStUp+n.net
かなり昔の高校生の頃の話だけど、当時はチェーンメールが流行ってた時代だった
普段は「このメールを○人に送ると恋が成就するよ☆」系のものがほとんどだったんだけど
ある日表面上仲よくしてる友人Aから送られてきたのが
「このメールを3人に送らないとあなたに災いが起こります。送らなかった私の知り合いはレ○プされ、手足を引きちぎられコロされました」みたいなエグイ事が書いてあるやつ
A子の「こ、こわい!」というコメント付きで送られてきた

相手が自分の事どれだけ下に見てるのかわかった気がするチェンメだった
当時の私は上辺だけの関係のA子に送られてきたって事がより頭にきたし
宛先のCC見ると、A子が仲良くしつつも陰で悪口言ってるB子、A子が馬鹿にしてる同じ部活のC子、そして友達の友達で一応仲良くしてるけど2人きりになると話題に困る私の3名だった
案の定A子があまり好きそうではない面子
友達ランキング作ったら私は下から数えて3位以内に入るのかと思い、チェンメはA子宛に3通送り、それ以降卒業までお互い言葉を交わすことはなかった

今考えると、くだらない話だしわたしも大人気なかったんだけど
なんとなく昔のちびまる子ちゃん観てたら、クラスメイトの藤木が悪魔の手紙(悪質なチェンメの紙バージョン)を、クラスの陰キャ+まる子に送りつけて、こんな手紙送るなんてひどい!って藤木がみんなに責められる話を見て
私も同じ事あった!って思い出したw

784 :名無しさん@おーぷん 2021/09/05(日) 17:15:05 ID:Sb.f0.L1
受付事務の仕事をしていた頃の話。
受付と言ってもオフィスや病院などではなく、運動公園にあるスポーツ施設で毎日ジャージ着用、肉体労働も多かった。
大きめのスポーツ施設で、テニスコートやサッカーグラウンド、運動広場が3つくらい、多目的コート、野球場等々一通りの施設が揃ってたので
施設の利用客は少なくても数十人、多い日で1000人以上なんてこともあったため
常連で向こうは私の顔を知ってても、こちらが覚えている利用客は多くなかった。
営業時間が終わるのはちょうど夕暮れ時で、施錠で各施設を回るときには、公園内をウォーキングしている人達とすれ違う。
その中の1人に、私を見ると「こんにちは」「今日も頑張ってるね」とニコニコ挨拶をしてくれる男忄生がいた。
男忄生は週4ペースで公園を歩いてたんだけど、最初こそ挨拶だけだったがすぐ「どこから来ているの?」「ご結婚されているの?」と色々聞かれるようになり
私はその距離の近さから、大勢いる常連客のうちの1人だと思って
常連さんとはいい関係を築いていて損はない!と、愛想よく世間話に応じていた。
(〇〇から来てます!電車で30分くらいです、とか、独身ですよ~と普通に返してたし
男忄生はその昔結婚してたけど、とうのとうに離婚して独り身らしいってことも教えてくれた)
「あなたを毎日見ててね、素敵な人だ、ずっとお話したいと思っていた」「お話できて嬉しいよ」とまで言われ
「毎日いますので、遠慮なく話しかけてくださいね」と、元気で爽やかなスタッフ!を意識して営業スマイルを振りまいてた。
ある日こちらから「施設は今度いつ使われるんですか?」と聞いてみたら「う~ん、昔はたまに使ってたんだけどねぇ」と返された。
あれ?この人利用客じゃないの?じゃあなんでこんな親身に話してくれるの?
そのうち「今度お茶でもしよう」と言われ出し、「上野の夏祭りに行こう」「それとも隅田川の花火がいいかな?」となり
誘われるたびに濁してたら「好きなもの何でも買ってあげる」「一緒に出掛けようよ、頼みます」まで言われて
あっ、これガチなやつだとそこで初めて気づいた。

282 :名無しさん@おーぷん 2015/06/07(日) 07:34:05 ID:fc5
義母:頭はしっかりしてるけど車椅子
義父:超健康ムキムキ体、だけど認知症

このふたりを同居介護していた。
最初は義母が車椅子になって、それだけの時はそれほど大変でもなかったけど
その事件が起こる1年ぐらい前から義父がおかしくなって、それからが地獄だった。
2人とも養老院の申し込みはしてあって、どちらかひとりだけでも早く順番こないかなと
毎日毎日お祈りしていた。
でもそんな状態でも義母は要介護2で、義父は要介護1と認定され
しかも小梨専業主婦が家にいるのではなかなか入所は難しいようだった。
(ていうか、そんなん2人いたら専業になるしかないじゃないか)

我が家は戸建だけど、家の前が坂道になっている。
閑静な住宅街だけど、家の前から一直線の先には国道。
女房大好きな義父は何かと義母の世話を焼きたがるが、
歩けないから車椅子だってことが理解できないのか、やたら立たせようと腕を引っ張ったり
車椅子をゆすったり、外に連れて出したがったりして危ないのでとにかく目を離せない。
夫も部署異動を願い出て、なるべく早く帰れるようにして貰い
帰りに翌日分の買い物をしてきてもらったりと、どうにかこうにかやってた。

977 :名無しさん@おーぷん 2019/07/31(水) 23:11:22 ID:hg.bz.L1
時々「喰い尽くし系」の夫や彼氏の話の書き込みを見かけるけど、
男の中には食事の配膳などが待てないタイプというのが一定割合居るもののようだ。

昔、小学生時代、給食当番の時に給食室からクラス全員分の料理入りのバット(容器)を受け取って、廊下を運んで来るじゃん。
すると、その廊下を運搬中に、7~8人程度の男子がわらわらと寄ってきて、バットに群がって蓋を開け、廊下で料理を取り出して持ち去り始めるんだよな。

「やめろよ、バットを教室に運び終わってクラス全員に配るときに取れよ」とそいつらをたしなめても、
「後で教室で配るんだから今取っても変わらないだろ!!」とその男子どもは口々に言い、
廊下を歩きながらバットに群がって料理をかっぱらっていくわけ。

ちなみに女子でそういう配膳前に料理を廊下で持ち去りたがる子は一人も居なかった。
全員男子の何割かの連中だな。

そういう食事作法や料理の配膳の間にがまんが効かないタイプの一定割合の男子たち、
あいつらが、成長後、喰い尽くし系夫や彼氏になったのかもしれないな。

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