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人生

345 :名無しさん@おーぷん 2014/07/27(日) 15:57:01 ID:r5Qp40YlD
吐き捨てます

私は子供の頃からずーっとださくて地味だった。
そして何をやってもイマイチなぱっとしない人間だった。
努力はした。でも要領が悪いのか能無しなのか駄目だった。
周りからも、いつもなんとなく見下されていた。
でもぼっちは嫌なのでヘラヘラして周りに合わせてた。
劣等感で一杯だった。

そんな私が奇跡的に素晴らしい男性.と結婚できた。
イケメンで優しく安定した口臭入、トメは鬼籍で
ウトは資産家で優しい。今私はとても幸せな専業主婦してる。
結婚に至るまでは大変で、ライバルは必タヒで蹴落とした。
(法に触れるような事はしていない)必タヒだった。

だから今、学生時代に散々私をバカにした女性.たちに
すっごいすっごい幸せ自慢、幸せ爆弾投下してる。
三十才過ぎてるけど独身が多くて、既婚の人も苦労してる。
私は子供二人産んで、家で趣味やって好きな物買って。
そういう自慢たくさん。資格持ち、高学歴、仕事してる女性.
が偉い、みたいな話にもなるけれど、そういう時は
「ウン、私はお外働きは夫くんにお任せしてる。
だって私は働か無くても良い立場だし、それよりも
子供を産んで、しっかり育てて。お家を守って。
そういう生き方も女性.としては良いと思うの。しあわせだよ。
みんなから見ればつまらない人生かもしれないけど…
一人の男性.が自分を一生の伴侶に選んでくれて、
本当に守ってくれる。子供は無条件の愛を私にくれる。
私も頑張らなきゃ、って思えるの。私を選んでくれた人の為に」
って返してる。
勿論みんな私の夫が素晴らしい男性.である事を知ってる。
結婚式に招待して、凄く羨ましがられたから。


551 :名無しさん@おーぷん 2016/03/07(月) 02:06:35 ID:9RB
もう20年以上前に亡くなった祖父は、たぶん完全犯罪者。
私も私の家族も「犯罪者の身内」になりたくなくて
祖父を庇った。
おかげで何事もなく人生を過ごしてきた。
ごく平凡な毎日が、とてつもなくありがたい。
あの時祖父を自首させていたら
結婚することも出産することもなく
今頃孤独な生活をしていたんだろうな。
Kサツにうそのアリバイ証言をしたことは、まったく公開していない。
ただ、刑事ドラマを見るたびに
いつも犯人の立場で見てしまう。
相棒の右京さんが、もっかの「心の天敵」。

1 :以下、?ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/12/22(土) 20:58:30 ID:nhJ8SoIn0.net
誰も見てないだろうけど書き溜めたから貼ってく。
気が向いたら慰めてくれ。
ワイ 女
自分で言うのもなんだが、容姿端麗、頭脳明晰だった。
就活で東京に行った際、ホリプロからスカウトされたこともあったし、国立の名門校を卒業した。

934 :名無しさん@おーぷん 2016/05/13(金) 04:18:11 ID:???
ちょっと長いけど書き込ませて。

うちには猫が3匹いる。
1匹目は私が欲しくて里親募集サイトで一目惚れした子。
可愛かったから絶対人気ある子だろな~って思ってたらなんと応募は私だけでとんとん拍子でうちの子に。

で、ここから私の人生は猫に乗っ取られた。

8 :名無しさん@HOME 2011/09/07(水) 13:49:24 0
プチのくせに長文ですが

自衛同居でウトメの他にコウトも一緒(大学3年生)
こいつが口開くと女女の超チャラ男
女関係になると半端なくクズになる
夏休みにサークルの合宿といってウトメに金せびって彼女と旅行に行って、休み明けにも帰ってこず一年目に留年
同居なのに家に彼女連れてきて毎日毎日とっかえひっかえ昼間からギシアン
旦那にうるせー外でやれ!家はラブホじゃねーぞってドア蹴られてビビった彼女に振られた腹いせにうちの寝室のドア蹴り壊したり、
彼女が冷蔵庫勝手に明けてご飯作ってあげるぅってやりたい放題やってたから、
考えて買い物してるのに勝手に食材と台所使わせんなやるなら自分らで買ってこいって怒ったら
冷凍庫開けっ放しにして、冷凍食品全部ダメにされたり
私やトメの化粧品やアクセサリーを盗んだりする(でもいつも証拠が揃わなくて追い詰められない)

ウトメも若いからある程度は仕方ない、他人に犯罪してるわけじゃないし…って話にならん
旦那は高卒で家継いだから、俺は大学まで行ったのに兄貴は高卒pgrで旦那の言うことはほとんど聞かず、たまに殴り合いになる

635 :可愛い奥様 2017/10/13(金) 11:49:40 ID:IZ6uoTU/0.net
現在進行形で娘の人生をめちゃくちゃにしてること。
小さいときから○○太郎と呼んだり、女関取とか呼んで、男の子の服を着せておいて女の子らしくないと怒ったりしていた。
髪を伸ばせばセーラームーンに憧れてるの?と馬鹿にしたり、無理矢理髪の毛を刈っておいて男の子みたいと馬鹿にした。
美容院にも病院にも連れて行かなかったし、新品の服も買わなかった。ご飯も惣菜を与えて勝手に食べろってやってた。
中学からずっと母(娘にとって祖母)の介護をさせた。認知症でボヤ騒ぎや徘徊しておかしくなってても、そんなわけないと言って突っぱねて任せてた。
17くらいの時に高校受験をしていなかったと知ってめちゃくちゃに怒った。母の世話と荒れ果てたゴミ屋敷の片付けで娘は学校どころじゃなかった。
娘は家を出て遠方で働き出したけど、家出人ということでアパートや職場を突き止め、職場に娘宛で腐ったタマネギなどを送ったり、毎日毎日職場に電話してたら2年もしないで戻ってきた。
帰ってきた娘に寝たきりの母の面倒や、娘が居ない間にたまったゴミ、普段の家事など全部任せた。
近所や親戚には娘は無職で彼氏もいなくてブスで家事も出来なくて、本当に苦労してると言いふらして泣いて、周りから娘が白い目で見られるのが楽しかった。
夏に娘が倒れて、その間に母が亡くなってしまった。娘のことを人杀殳しだと責めた。慰謝料として1,000万請求している。法的な力はないけど娘なら払ってくれる気がする。
今暮らしている旦那には絶対秘密。娘はまだ24なのに60過ぎてる私よりオバサンに見える。白髪だらけで最近はヤマンバと呼んでる。
娘のお金は使い込んじゃったし、娘はもう働く気力もないみたい。タヒんじゃっても最期まで駄目な娘だったと言いふらすと思う。
何でこんなに娘に執着してるのか自分でもわからないけど、こんな貴重な経験させてやってるんだからもっと感謝しろとさえ思う。

28 :名無しさん@おーぷん 2018/02/07(水) 23:27:36 ID:qio
東京からの転校生により人生が少し変わった。
思い出すと恥ずかしいが幼稚園の時代から孤高を気取っていて自分の時間をすべて時間の為に作っていた。友達なんか必要ないと思っていたので誰にも話しかけなかった。
お人好な兄も甘えん坊な妹のことも気に入らなくて家の中でも避けていた程だ。親からは散々心配されたがうっとうしかった。
放課後か休日は塾で学力向上、もしくは町内を何周もマラソンして足腰を鍛える。
マラソンは雨が降っていようが雪が降っていようが慣行した。空いた時間は読書か空想、映画鑑賞に充てていた。
この性格のまま中学校に入学した。成績は常に学年トップだし、陸上部では主力選手だったからかいじめられるということもなくクラスメートとはあたりさわりのない普通の関係だった。
中二の2月後半に東京から転校生がやってきた。新潟市の一番賑やかな地域が学区の中学だったがそれでも東京都は比べるべくもない。
その子は都内でも指折りの名門お嬢様学校から転校してきたため、頭も桁外れに良く、スポーツ万能。
地元にはいない、まつ毛が長くてカールした西洋人形のような彫りの深い顔立ちだった凄い美少女だった。颯爽とした立ち振る舞いや垢抜けた爽やかな雰囲気がいかにも都会人という印象だった。

452 :名無しさん@HOME 2014/01/10(金) 09:23:00 0
9歳くらい以前の記憶がない。
気付いたら施設。戸籍がなかった。
だから今も正確な生年月日は不明。
親も不明。名前は自分で名乗ったらしいからそれらしいのはいたんだろうけど。
施設に入って小学校に入れられたけど、一桁の足し算どころか
自分の名前をひらがなで書くことすらできない。
協調性もあったもんじゃないから学校でも施設でもいじめられた。
施設飛び出して数日で捕まるの繰り返し。
食事とか基本的に窃盗してたけど、12歳くらいのときに
自分の体が金になることを知ってそれからはずっと売春。
端折るけど18のときに、知り合いのクズ男の紹介で風俗店に勤めた。
しばらく稼いだらオーナーに勧められて経営の方に。
ちょっとしたきっかけがあってオーナーに店を買い取ってもらって20代で隠居。
大学卒業して今はニートしてる。

修羅場しかない人生だけど、一番の修羅場は昔窃盗した店に十数年ぶりに謝罪行脚したこと。
自分でやったこととは言え、本当にすごい脇汗かきながら謝罪した。

689: 名無しさん@HOME 2013/02/28(木) 18:38:43.34 O
前提が長いです

姉と私は一卵性双生児
親でもパッと見見分けがつかない
(小さい時は手のアザを見て判断)

310: おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2006/05/12(金) 18:45:25 ID:6AsX8mo6
タクシーの運転席が射場守夫(38)の勉強部屋だった。
定規と下敷き板で作った簡易机。乗務の合間を見つけては、
受験参考書に読みふけった。
高卒後、岡山で「大好きな車の仕事を」と、ガソリンスタン
ド店員や運転手を続けた。給料の多くは車の改造に充て、家
族を顧みない日々。だが30歳を過ぎ焦りが募る。「技術も資
格もない。どうしよう」。偶然、乗せた客に「どうせなら最
難関の司法試験に挑戦してみたら」と言われた。
「死ぬ気でやる」と受験を運転手仲間に宣言。「自分に酔っ
とんのか」。周囲の冷ややかな反応に意地になった。だが、
三度目の挑戦も失敗。「食っていくだけなら今のままでも」。
何度もくじけそうになった。

そして昨年11月。法務省のホームページを見る手が震えた。
7年間、5度の受験。合格者名簿に自分の名前があった。文句
も言わず支えてくれた妻に報いたい。「転勤で迷惑をかけず
に済む弁護士がいいかな」。射場は4月、司法修習生として
人生の再出発を切る。   (2003年3月20日 日本経済新聞)

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