今日の人気記事

施設

215 :名無しさん@HOME 2018/01/11(木) 19:52:12 0.net
一昔前の話です。
当時、2歳の長女と未満児の双子の長男次男を育てて疲れ果てていた。
さらに夫が事故にあってもうめちゃくちゃだった。
そんな大変なときに義兄嫁が育児を助けてくれたのでとてもありがたかった。
あのとき義兄嫁が来てくれなかったら私も倒れていたと思う。

だけど3ヶ月目に義兄嫁と義兄嫁のお母さんがきて「あなたの状態で3人育てるのは大変すぎるから、義兄家に一人養子にほしい」といわれた。
義兄嫁は「双子を引き離すわけにはいかないから長女を養女に」って言ったけど今思えば女児のほうが育てやすいからかも。
義兄は義兄嫁とその母のいいなりで当てにならない、夫は入院中。
私もおかしくなってたのか、毎日言われてるうちにそのほうがいいかも?と思うようになってた。
でも長女を手放したくないしで泣いてたら夫の入院先の看護婦さんが話を聞いてくれて、施設を教えてくれた。
赤ちゃんのほうが覚えてないだろうから、夫の入院中、双子を施設に預けた。
そのことで義兄嫁と母親から罵られたけど、産んだ子を養女に出すくらいなら一時的に施設で預かりのが良かった。

今で思い出すのが最後に義兄嫁が「子供をちょうだい」て土下座して床に頭をドンドンぶつけてた姿。「「
義兄嫁の母が「こんなにしてるのに!あんたは何も感じないのか」と泣いていたが、私は何も感じなかった。
それでようやく諦めてくれて、それっきり来なくなった。

夫が退院してからは双子も施設から帰ってきて家族5人の暮らしに戻った。
義兄嫁とは会わずに10年たって、今義兄嫁が癌になったと義兄が知らせてきた。
義兄は私に「義兄嫁を許す」と言ってほしいそうだが、許すも許さないももう興味はない。
だけで思い出すともやもやするからここに記録します。


904 :名無しさん@HOME 2010/02/02(火) 21:42:47 0
私は幼少期に親をなくして施設育ちです。
トメはくだらないことでいつも私を呼び出してた。ゴキブリが出たとか電球が切れたとか。
嫌だったがエネ夫がうるさいので、共働きなのに車で30分の距離を通って用事を足していた私もエネMEだった。
私の妹が事故にあって病院に運び込まれたと連絡が来た。
丁度その時トメから「体が辛いから飯を作りに来い」とコールがきた。
メシを作りに行こうと言うエネにぶちきれて、強行突破で病院に向かった。妹は重症だったが命に別状はなし。
その間なり続けるケータイ。エネ夫からは「どこにいるんだ?早く帰って来い」「捨てられたいのか」
「ふざけるな、さっさと連絡しろ」とメールがばしばし入る。トメからは「捨て子を貰ってやったのに」
「あんたは奴隷なのよ。私と息子ちゃんの命令を聞いていればいいの」「妹生きてるの?タヒんだ?保険金は?」と
留守電がばしばし残されてた。もうメール見て留守電聞いて病院なのに大笑い。お前ら何様のつもりだ?
留守電もメールも全部保存した。で、妹の容態が落ち着いてから弁護士を探してメールを見せて留守電聞かせたら
「これは・・・」と絶句。慰謝料とって別れたいです、と伝えたら「任せてください。分捕ります」と力強いお言葉。
その後エネ夫はロミ夫に進化を遂げたが、離婚を決意したところで頼んだ素行調査で飲み屋のお姉さんと浮気が発覚。

646 :名無しさん@HOME 2008/12/20(土) 16:30:24 0
蕎麦アレルギーがある甥(旦那の兄の子供)8歳。
ウトから「アレルギーなんて気合いで治る!」「食べたくない言い訳だろう」
と散々からまれてた。周りが「アレルギーはそういうものじゃない」って
言っても聞く耳持たず。
法事で、親戚一同とご近所さんがうと宅へ。ご近所には普段からいい顔してる
ウト。嫌がる甥を無理に膝に乗せて「孫はかわいいものですなあ。どうだ
○○、じいちゃんと一緒に住もかい?」すかさず甥は立ち上がり、
「そーだねー、じいちゃんがひまわりに住むんだったらねー(棒読み)」
と言いながらお断りしますのポーズでどっか行った。まわりはポカン、
ウトは顔真っ赤。
ひまわりというのは老人福祉介護施設のこと。

328 :名無しさん@HOME 2011/05/13(金) 11:09:25 P
夫の母が
私を狙って
工場に突っ込んだ

救急車呼んで付き添いで病院まで行った事を激しく後悔中
ちょっと夫と話しあってくる

387 :名無しさん@HOME 2010/02/22(月) 23:58:52 0
私が結婚して1年目にウトが急タヒした。
揃って超優良だったウトメはおしどり夫婦。
一人になったトメを心配して、小梨2馬力の我が家で引き取ることになった。
同居してもトメの優良ぶりは変わらず、家事をして、ウトが十分なお金を残してくれていたので月々の生活費まで入れてくれてた。
でも、やっぱり連れ合いを亡くしたトメはショックが大きかったみたい。
1年もたたないうちに体にがたがきて、主に歩行が困難になってきた。
それで近距離にすんでた良コトメ(専業子持ち)が手伝いに来てくれて、二人でトメの介助をしていた。
夫はなにもしなかった。
ある日コトメが急用で、私の帰宅前に自宅に帰ってしまい、私もいつもより帰宅が遅れてしまった。
帰ったら、トメが真っ暗なリビングでうずくまって泣いてた。
周りにはティッシュがいっぱい散らばってた。
トメはお手洗いに行くのに間に合わずリビングで粗相してしまい、慌ててティッシュでふき取ったものの、
動けばリビングを汚してしまうと思って、その場から動けなくなってしまったようだった。
そんなトメを見て私も泣いた。
後始末をして冷たくなった服を着替えをさせる私に、トメは「ごめんねごめんね」といいながら泣いていた。
その夜夫は日付が変わる頃に大トラになって帰宅した。


33 :名無しさんといつまでも一緒 2008/07/20(日) 10:03:10 0
俺はすっかり元嫁に騙されていたよw
子供連れて家を出て行った嫁を心配していたら
子供は施設に預けられてた。
子供を引き取って、そんなに別れたいなら・・と離婚もした。
なんてこたぁない。
嫁には男がいた。
離婚してあっとう言う間に男と暮らして結婚しやがった。
してやられたよww
あんな女と縁が切れて良かったと思うしかないな。

  • カテゴリ:
875 :名無しさん@HOME 2009/09/05(土) 09:35:52 0
嫁いびりって当番制か!w

私もトメに「今度はあんたらの番」とばかりに
嫌みに嫌がらせされたから
「小学校から行き直して下さい」
「そこまでして義兄嫁子さんや私に手厚い介護してもらいたいですか?」
「介護の時はそのままお返ししますね~(ニヤリ」と繰り返してたら
嫌がらせるす元気もなくなったのか、その後認知症になって
義兄と旦那が介護施設に入れたw


559 :名無しさん@HOME 2008/08/02(土) 21:38:51 0
トメに「盗聴は犯罪ですよ。犯罪者とは一緒に暮らせません」
ついでにダンナに「これでもまだトメを庇うなら、離婚しましょう」

寝室に盗聴器仕掛けられてたのが判明して、我慢限界。
「母親を犯罪者呼ばわりするなんて酷い女だ!」って喚いてたけど、アホか。
うちの母は、父と仲良くつましく生活しています。
兄嫁さんとは良い距離を保って、諍いもありません(兄嫁さん曰く、「私はお姑さんに恵まれた」)
犯罪者のあんたなんかと一緒にすんな。

現在、ダンナ兄とダンナが、トメを放り込む施設を探してる。
どうなろうと知ったことか。

606 :名無しさん@HOME 2011/01/10(月) 15:44:26 0
テレビで若年性痴呆についてやっていた時に、
「僕の場合はもう60歳過ぎているから痴呆になったとしても大丈夫だね。」
と既に痴呆が進行している様な意味不明の事を言い出した。
何が大丈夫なのか分からないけど、
多分「面倒みるのも楽だよ。」的ないつものように自分勝手な妄想だろうw

「えー無理でしょ。施設でしょ。」と答えると「そうか施設なのか。」とがっくりきた様子。
私より20kgも多い人をどうやって介護しろと?
更に「1月の連休どっか行くと言ってた。あれどうなったんだ!」と急に怒り出した。
連休は既に今日で終わりだし、「どっか行こうかな?」とつぶやいていたことをよく覚えているもんだ。
行くとしても連れて行かないよ我儘で疲れるからね。
5月の連休は既にギリシャ一人旅と決めているし。

216 :名無しさん@おーぷん 2017/04/27(木) 18:24:33 ID:pjJ
暴力でやり返した話だから気分悪いと先に言っておく。
ネタだと思って読んで欲しい。
子供の頃から親父に殴られてきた。ちょっとでも気に食わないことがあるとボコ殴り。
殴られすぎて吐くとゲロを「もったいない」と食わせられた。
周囲は俺が殴られていると知ってたのに何もしてくれなかった。
母親は親父に殴られすぎて糖質発症→入院→退院直後ジサツ
施設に2回入ったことがあるが、しばらくすると親父が迎えに来て
また自宅でサンドバッグにされた。
そんな生活だが高校は卒業できた。
女房子供を殴る以外では父はマトモな社会人だと思われており
それなりの役職にいたから見栄もあったんだろう。
なぜか再婚はしなかった。
ちょこちょこ女は連れ込んでいたが。
18を過ぎる頃には親父の背を追い越していたんだが、俺は相変わらず逆らえなかった。
親父には一生逆らえない、勝てないんだという思い込みがあった。

23の時上司の紹介で結婚した。
2年アパートで暮らして、25の時実家に戻って父と同居した。
親父は最初は猫をかぶっていたが、2カ月目で地を出し
俺の妻を殴り始めた。
妻は最初は抵抗していたが段々無気力になった。
ある日親父が妻をボコボコにした後、妻が起きあがって夕飯を作り始めた。
親父は妻に近づいていき、何か言った。内容は忘れた。
親父は言うだけ言って妻に背を向けた。
そうしたら妻がたった今まで火にかけていた熱々のフライパンで父のケツを殴った。
父は倒れた。妻は父の背中をさらに3回くらい叩いた。
俺は呆然としていた。妻は俺を見て(すごい顔だった)おまえもこいつもクズだというようなことを言った。
妻は家を飛び出し、タクシーで実家に帰ってしまった。
俺は親父を病院へ連れて行った。
火傷と打撲だけで骨に異状がなかったので入院はしなかった。

帰宅した親父はあんな女と結婚しやがってと俺をコップで殴った。
俺はなぜかガッカリしていた。
妻は小柄な女だ。親父はあんな女にやられる程度の爺いだったんだと落胆した。
その夜、俺は寝ている父を襲撃した。
布団を剥いでフライパンで殴りまくった。
子供の頃俺がされたように「ごめんなさいは?」と言いながら殴り、謝っても殴り続けた。
妻とは結局離婚した。
仕方ないと思う。俺はクズだったから。
親父とはその後1年くらい同居した。顔がウザイとか息が臭いという理由で
「フライパンの刑」だと言いフライパンを見せつけて殴った。
しまいに「フ」まで言った段階でビクっと飛び上がるようになった。
殴っても何も楽しくないことに気づいたので、実家を出て今は一人暮らししている。
もう一生人は殴りたくないし殴られたくもない。

このページのトップヘ