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暴力

978 :名無しさん@おーぷん 2015/09/02(水) 09:24:05 ID:Ulm
次スレを先にのぞいたらこっちを先に終わらせろと書いてあったのでこっちに来ました。

元夫が逮捕されました。今留置所にいます。長いうえにたいした修羅場じゃないかもですが、よかったらお付き合いください。


五年前に私は十年の結婚生活にピリオドを打った。離婚の理由は、私が元夫の猫を私姉宅に里子に出したから。
この猫は、元夫が車で轢いてしまった猫だった。動物病院に連れて行ったもののそのせいで前足はびっこ、後足は片方が動かず、元夫は轢いた責任で家に連れ帰ってきた。
ここだけを聞けば立派だと思う。

ただし私たちの娘(二人)はどちらも動物アレルギーを持っていた。さらに下の子は小児喘息を抱えていたから、猫と一緒に暮らすことは初めから無理があった。
連れて来た時、そう言った私に元夫が言った言葉。
「だったら○(次女)を隔離すればいいだろう!!」
猫を隔離するのではなく、娘の方を隔離するとほざいた。この家は元々造園業を営んでいた夫祖父母から受け継いだもので、家のそばに物置があった。そこに娘を隔離させると。当時、次女は四歳。

私の反対を押し切り、元夫は猫を連れ帰ってきた。本人は溺愛しているつもりだったが、猫の世話の七割は私が、三割は長女がしていた。とうの元夫は口ばかりで何ひとつ世話をしなかった。
夫は「轢いてしまった猫を、立派に飼っている素晴らしい自分」に酔っていた。家は猫中心の生活になった。
娘たちの体調を考慮し、猫には二階の限られたスペースで暮らしてもらうつもりだった。足が不自由な子だから階段を自分で降りてくることはできないので、階段の手前に転落防止の柵を取り付けることで隔離しようとした。

夫、激怒。「こいつはもう家族なんだ!!厄介者のように扱うな!!」だって。
咳き込む娘たちに「わざとらしく咳をするな」だの、「あてつけのつもりか」と暴言を吐くように。

それでも一年弱、猫を飼い続けたのはとうの娘たちの希望だった。元々、体質的に飼えないから諦めていただけで、娘たちは大の動物好き。足が不自由で介助してあげないとトイレにも困る猫の世話を長女はいつもマスクをしてやっていた。
それが渋々とかではなくて、本当に好きでやっているのがわかる嬉しそうな顔をしていた。
あの顔を見てしまったら、「諦めなさい」とは言えなかった。

でも、本当は心を鬼にしてでも言うべきだった。思い返すたびにできるものなら当時の自分を張り飛ばしに行きたい。
最初に触れたけど、次女には小児喘息がある。

ある日、肺炎を併発した。アレルギーの咳と小児喘息が最悪の形で次女に訪れていた。
病室で呼吸困難を起こす娘の姿を見て、私は猫を里子に出す決心をようやくした。
それが私姉だったのは、姉一家(夫実家住み)は猫好きで姉夫家族は以前にも体が不自由な猫を飼ったことがあったから。里親を持ちかける前から度々うちで引き取るよと言ってくれていたので、甘えさせてもらった。
七歳の長女と五歳になっていた次女は嫌がったけれど、何度も根気強く説明した結果、里子に出すことを承知した。
これに納得しなかったのが夫だった。

娘たち泣く泣く諦めたのに、姉宅に押しかけて連れ帰ってくると、また次女を隔離すると言い出した。
当時、次女はまだ入院していた。聞き分けのない父親を七歳の長女が「パパ、しょうがないよ」って諭しているのに、聞き分けず長女を「無責任だ」と張り飛ばした。
このとき私のなかで離婚が確定になった。その場で離婚を突き付けた。
元夫は自分の考えがすべて正しいと思い込む傾向が多々あった。このときも元夫は猫が可愛いからではなく、「立派な自分」に陶酔しているだけだった。
出て行くのならひとりで出て行けと元夫は言い、口論に発展。
つかみ合いになって私が元夫を投げ飛ばした。(柔道歴十三年)
その足で娘を連れて近県で暮らす兄宅に押し掛けた。
(脳震盪起こした元夫は、姉夫に依頼して様子を見に行ってもらった)
事情を説明すると、兄よりも兄嫁のほうが親身になってくれて、当分の間置いてもらえることになった。離婚問題に強い弁護士も兄嫁に紹介してもらった。

そこからはトントン拍子に進んだ。
元夫は離婚にごねたものの、最終的に慰謝料養育費なしで合意。
離婚後は遠方の私地元に引っ越し、しばらくは平穏に暮らしていたものの……。

どこかからか私が再婚したと聞きつけたらしくゲリラ訪問してきたorz


403 :名無しさん@おーぷん 2017/07/15(土) 21:04:35 ID:ZHA
私が小学三年の時に起こったテレビの大家族ものが原因の修羅場。
母親と祖母が大家族ものが大好きで、特番でそれが放送されると夢中になって観ていた。
私が「つまらない。ドラえもんとか観たい。」とか言うと「ワガママ言うな!」と二人から叩かれてた。
あと、「そんなに文句があるなら、他のテレビがある洋間に行け!」と一人で陰気臭い、冷暖房もない洋間に行ってご飯を食べたこともあった。
ある日、大家族ものが放送されて例の如く夢中になる母親と祖母。
私はどうしてもバラエティが見たかったが、またあの洋間で一人寂しくご飯を食べるのだと思うと嫌だった。
その時、私が思いついたのがテレビのチャンネルを無断で変えることだった。本当に馬鹿なことをしたと思ってる。
勝手に変えた瞬間、母親からはグーで殴られ、祖母には30cmの定規で叩かれた。
そして、「そんな勝手なことをする奴はいらない!この家から出ていけ!」と外へと放り出された。
玄関先でずっと待ってると母親が来て、無言で車に乗せられた。
「どこへ行くの?」と言っても何も言わない。
車が止まったのは暗い山道。「ここで降りろ。」と鬼の形相で言う母親に何も言えずにそのまま降りた。
そのまま車は走り去ってしまい、ひとり山道に取り残されてしまった私は暫くじっと待っていたが、いつまでたっても迎えは来ず。泣きながら暗い中辛うじて下山。
その時、近所に住んでいた当時高校生のお姉さんに出会い、理由を話してそのまま家まで一緒に行った。
祖母が出てきたけど、お姉さんには「この子は勝手に家出しただけ。言い訳してたかもしれないけどそれは嘘だ。」と言っていた。
その後は別に普通に過ごしたから問題はなかったけど、今でも大家族ものは大嫌いだ。

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116 :sage 2012/04/06(金) 23:56:47 0
トメが要介護になったので同居開始。
主に面倒見るのは私@介護職経験有。
最初のころは大人しかったが、体が満足に動かせないせいか、私に手が出るようになってきた。
まあ、はっきり言って、年寄りの暴力には職場で慣れてはいた。
ムカつくことは変わらんが。

最初に叩かれてから一週間は我慢したんだ。
もういいよね?
ってことで、また叩こうとしたトメの腕を掴んで、笑顔で言ってやった。
「トメさん、トメさんが私を叩いた数だけ、夫君を叩きますね。今までの分も含めて」
私が本気だと思ってなかったようで、結局その後叩かれた。

夫が仕事から帰宅。
私「おかえりー。あのね、今から叩くねー」
夫「ただいま。なんで?」
私「これこれこういうことです。親の不始末が子に報うのです」
夫「・・・・・・素手でお願いします」

このやり取りの後、トメの前でほんとに夫を叩いた。
トメさんベッドの上で顔真っ赤にしながらわめいてた。
人語じゃないのでヒアリングできません。
その後、短期出張から帰ってきた良ウトさんと夫とトメとで話し合い。
私はご飯食べて風呂入ってテレビ見て寝てた。

結果的に今は近距離別居、トメの介護(お風呂とか)はデイサービスをお願いすること。
私もご飯作りは手伝うが、後は夫とウトさんにしてもらってる。
叩かれたといってもぺチン位で全く痛くは無かったんだほんとは。
トメの前で夫をorzにしてスパンキングしたのがdqnだったと思う。

48 :名無しさん@HOME 2012/04/28(土) 00:44:21 0
セクハラってなんで自分の妻がされても平気なんだろうね
元旦那も私がウトにセクハラ(乳揉み尻揉み風呂に入る脱衣所をのぞく等)
をされた時「いちいち構うからちょっかい出されるんだろ」っておんなじこと言った
実家でそのことを話したら家族が怒って、
私たちが実家に行った時弟や兄が尻や股間を揉んだり
一緒にお風呂に入って熱い視線で見つめたりしてた
元旦那が私にそれを言ってきたので、「いちいち構うからちょっかい出されるんじゃない?」
って言ったらグーで殴られたよ

35 :名無しさん@HOME 2010/01/25(月) 14:43:05 0
自虐的なのでスカッとしないかもしれませんが投下してもいいですか。
ありがとう。

詳細は省きますがテンプレ通りのウトメ&エネ旦那。
エネ旦那が暴力をふるうようになり、いよいよ真剣に離活を考えた。
暴力といっても怪我をさせたりするようなヘマはしない狡猾さ&精神的に追い詰める。
豚だのなんだのと罵るので、精神的にやられたふりで-20㎏落とした。
確かに結婚前より3㎏ぐらいは太ったが、それでも平均体重だった。
精神的にもギリギリだったが、さすがに5㎏減ったあたりから周りに言われるようになり、
10㎏減で病院に連れていかれた。摂食障害と診断され精神科にもおせわになった。
ガリガリの骸骨みたいになったけど、ご近所や親戚、旦那の会社にも噂になり離婚成立。
あの家に嫁ぐと骨と皮だけにされると誰も寄り付かないらしい。

もうかれこれ5年以上前になるけど、ほんとにギリギリだったので絶対おすすめはしないが、
骨と皮でギョロ目の凄みというか、負のオーラは鬼気迫るものがあったそう。
今はなんとか10㎏戻して痩せ気味ぐらいになりました。

36 :名無しさん@おーぷん 2017/09/28(木) 00:40:13 ID:HRr
学校の先生は性格がおかしい人が多いと言われるが、自分の母を見ていると真実だと思う。

今は退職して何十年も経ったが、昔、母は小学校教師だった。母は私や兄に「教師は女の仕事としては最高の仕事だ」といつも言っていた。
その「最高の仕事をしている自分」にものすごいプライドを持っていた。ある時、その最高話にウンザリした兄が「女性のお医者さんや
弁護士や大学教授もいるよ」と言ったら、母は「それは例外でそんな人はあまり居ない、普通の仕事では最高なんだ」と怒鳴った。
兄が「普通は普通で、最高とは違う物だ」と言った瞬間、兄は母に殴られていた。目が吊り上がって顔が真っ赤な母に「お前もそう思うか?」と
聞かれた私は兄を裏切るわけもいかないけれど、殴られたくないのでどうしてよいか分からず即答できなかった。再度「お前はどう思うんだ!」と
怒鳴られ、パニックになった私は「普通は最高だと思う」と答えてしまい「馬鹿」と言われ、母に殴られそうになった。その瞬間、兄が「今の事を
赤の他人に言って聞かせてもいい?」「最高話を人に言いふらすよ」と言ってくれたので母に殴られずに済んだ。母は「お前たちは世の中の事を
分かっていない」などとブツブツ言いながら部屋を出て行った。家に父親は居たが、全くの空気だった。何を言っても相談しても「母さんの言う
通りにしなさい」「母さんを怒らせたら駄目だよ」と言うだけだった。

後年、兄は大学を卒業し就職して家を出た。母が望む超難関大学に行かなかった兄を母は絶対に許さなかった。「○○大学に行くのに東京に行くのなら
まだしも、就職のために東京に行くのは許さない」と母は怒っていた。給料が出るまでの間、兄がお金に困ると思った私はお年玉や小遣いを貯めていた
のを兄に渡した。兄は「ありがとう」と言ったけれど、お金を受取らなかった。それでもと言う私と押し問答になって兄は「じゃ」と言ってその中から
1000円だけ持って行った。兄はその千円札を今も持っているらしい。

高齢となった母は今もプライドの塊で、内心、すべての人を見下している。自分が知らない事は、世間でもあまり認められていない事だと信じ込んでいる。
だから、インターネットとはロクでもないもので、そんなものはすぐに廃ると思い込んでいる。
現在、私は母とは完全な絶縁はしていない。完全な音信不通にすると半狂乱になって故郷の友人の実家に押しかけたことがあったから連絡先は教えている。
「東京なんてロクでもない」場所だから母は私の家には来ない。いろいろ準備をして疎遠にしていくつもりだ。
兄はインフラエンジニアをやっているが母曰く「ロクでもない仕事」だから兄とはほぼ絶縁状態となっている。

そんな母だが、母が担任していたクラスの同窓会が開かれる度に、母は「恩師」として何回も呼ばれている。故郷の人に聞くと、母は温厚で理解のあるとても良い先生
だったらしい。「私と兄の話は誰も信じないだろうな」と思い、母が以前「お前たちは世の中の事を分かっていない」と言った事を思い出した時がスレタイ。

227 :名無しさん@おーぷん 2015/02/12(木) 23:12:10 ID:yW4
書き捨てる。

姉妹2人、親には虐待されて育った。何を決めるにも
「自分で判断すると失敗する、母親の言う通りにしないと失敗する」
という呪いをかけられた。
従わないとき、失敗をしたときは暴力制裁だった。
竹定規、椅子、蝿叩き等を掴み、それが壊れるまで私を叩いた。
避けたり悲鳴をあげたりすると余計ひどくなるので
じっとして声をこ○して時間が過ぎるのを待った。
朝でも夜でも無関係で、母親の機嫌が悪い時は
眠っていても叩き起こされて理由をつけて殴られた。
父親はずっと空気だった。

私は次第に母親の傾向と対策を学び
出来る限り母親の気に入る服装、髪型、態度、表情、言動、成績を
キープするようにした。
「洗脳完了」「ごますり」と言えばその通りなんだけれど
何より私は殴られない生活が欲しかった。夜に安心して眠りたかった。
すると少しずつ母親の私への暴力が減り、会話が通じるようになった。
やっと家で安心して過ごせる、と嬉しかった。

しかし2歳離れた姉は違った。
母親が筋の通らない理由で怒鳴り散らしている時は必ず反論した。
そして余計に母親を怒らせ、もっとひどく殴られていた。
妹と違って自分の思い通りにならない姉に、母は常に苛ついていた。
姉は折檻されながら、泣きながらでも
自分が正しいと思うことを主張していた。

正直、当時の私はそんな姉にイライラすることもあった。
私にとって重要なのは「母親が怒るか怒らないか」だった。
なぜ姉がそんなに些細なことにこだわるのか、
勝ち目のない争いを続けようとするのか理解できなかった。
母の機嫌が悪くなると私まで殴られるから
お願いだから母の機嫌を損ねないでくれ、と姉に訴えたこともあったが
姉は変わらず母を怒らせる態度を取り続けた。

それでも私なりに母の機嫌を損ねない表現で姉のフォローをしたり
姉を許してくれるよう母に頼んだりもした。
お互いの失敗が母にばれない様に隠し合ったり、
母が不在の時は姉と愚痴を言い合ったりして、
私にとっては姉は戦友みたいな感覚だった。

決して姉を殴る母に加勢などしたことはなかった。
母を刺激しないように母の側に立ちながらも
母の興味を別のもので引いたり注意をそらしたりして
なるべく姉を守れるように立ち回っていた。
そういうつもりだった。自分の中では。

349 :名無しさん@おーぷん 2016/03/07(月) 20:12:28 ID:WNo
長文で読みにくいけど投下

底辺高校通ってた私
自称進学校から転入してきたそこそこ頭の良い元彼と仲良くなった
「俺は国立大学に進学して大手企業に勤めたい」と目標があり、そんな真面目に頑張ってる彼を好きになり付き合う事になった。
1年、2年、と順調?に続いていったある日喧嘩して首を締められ頬を殴られた
その時少し冷めたけど私も酷いこと言ったりしたから仕方が無いと言い聞かし仲直り
そういう事が何回かあったけど普段は優しいし私がわがままだからと考えないようにしてた
卒業したあと私には夢があり専門学校に進学しながらバイト、彼は某国立大学進学のため浪人
私が専門卒業して上京するまでには俺も東京の大学行くから一緒に頑張ろうと約束した
でもそこから元彼の本性がまたじわじわ出てきた
貧乏で親が予備校の金が出せないからと宅浪するのはいいが、「体調が悪いから今日は寝る」とすぐサボる
デートのとき駅から歩いて数分しかかからないのに少し重い物を持ってるだけで「今から親に迎えに来させるから」とすぐ親に頼る
え、親共働きだし疲れてるんじゃないの?と言っても聞く耳持たず。
俺がこんなふうに苦しんでるのは親のせい
俺は勉強で忙しいからバイトもしない金もない、だけどデートはしたい→デート代全額私持ち+デートで来ていく服がないから私が買ってた
少しでもお金出せないか聞くと大学行ったらバイトするし、その時にお返しするからと言われ信じ続けた(今思うと私すげぇ馬鹿・・・当時の自分殴りたい)
そんで帰って勉強するのかと思いきや今日は疲れたから寝る
君の誕生日だからプレゼント買ったよ→UFOキャッチャーの景品のタオル
しかも「俺上手いから数百円で取れたよ」とドヤ顔
こんな事が続いて上京するための貯金も無く相談すると「管理出来てないのはおかしいでしょ、もう二十歳越えてるんだよ?」と説教
しまいには「親に頼ってみれば?」だと
俺はお前の事なんでも知ってる、分かってる風な感じで事あるごとに説教してくるし、たまの暴力も治らない(やり返してたけど)
結局元彼は3浪の果てFラン私大しか受からなかった。そりゃ勉強してないもん
そこで今まで我慢してたのが爆発して冷めていった
私も就職も決まったし残りの学費は上京に使おうと2年半通った専門は自主退学し、上京と共に元彼とは別れようと決意した
顔も見たくなかったし声も聞きたくなかったから出来れば自然消滅が良かったけど気になる人ができていたのでスッパリ切ろうと電話で別れ話を切り出した
最初は泣いて別れたくないと言っていたが、途中から「お前と結婚は考えてなかった」「自分の管理もできないような奴とはもう無理」「お前は男に幻想抱き過ぎてる」「今までのお返しにお金送るよ貯金無くて大変でしょ?」「住所教えて色々送ってあげるから」

本当なんでこんな奴と5年も付ってたんだろうね・・・

523 :名無しさん@HOME 2011/02/21(月) 13:35:40 0
流れも読まずに暴力ネタ投下。嫌いな人はスルーして下さい。


同居してるウトに尻を触られたので思いっきりヒジを叩き込んだ。
「ちょっと手が当たっただけじゃねえか…」と蚊のような声で言われたので、
「私もちょっとヒジが当たっただけですよ」と返答。
土下座みたいな格好でプルプルしていたけどそのまま放置。

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