今日の人気記事

祖父母

303 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/ 2015/08/23(日) 22:24:43 ID:chjY07df.net
弟夫婦の子供が来年小学生。
てなわけで、弟がウチの両親と祖父母に「ランドセルと机買ってね」と連絡してきた。
それ聞いて両親激怒、祖父母困惑。
だって弟夫婦の子供、写真でしか見たことない。しかもその写真も1歳になるころには送られなくなった。
両親は「会ったことのない孫になんかやるものはない!」とブチ切れ。
弟は「姉ちゃんとこにはやったろ!」と逆ギレしたけど、両親が
・私夫婦は旦那側の親戚が誰もいないこと
・旦那の配慮で私の実家と祖父母の中間に住んでて、いざとなったら私夫婦に色々と手助けをしてもらっていること(祖父母の通院の車出しとか)
・両親も祖父母も、私の子供たちには新生児のころから頻繁に会っていること
・ランドセルも机も当初旦那が拒否したが、お祝いとして孫(ひ孫)に贈ったこと
・それは全て旦那が私側の親戚との付き合いを頑張っていることと、孫がきちんと自分たちにお礼を言える子だったからしたことだ
と説明した。

弟夫婦は結婚報告以来会ったことない。
私の実家から車で1時間ほど離れたアパートに住んでるとは聞いてるけど、弟夫婦は車持ってないからか、本当に会ってない。
弟嫁の顔をみんな忘れてるくらい。
弟経由で、弟嫁の実家は徒歩5分の距離と聞いてるから、弟嫁両親たちは毎日のように孫を見れるらしい。
溺愛してるって弟は言ってるのに「小学生で必要なものは旦那の親の方が買うもんだ」と、孫に1円も出さないと宣言してるとか。

弟が「じゃあ今度連れてくるよ」と言っても「今更遅い」と両親が拒否。
弟は「姉ちゃんとこと同じ孫だろ!」とブチ切れると「孫はすでに2人おるから知らんわ!」と特に父がブチ切れ。
その後、実家に数年振りに弟嫁から「あなたたちのことは既にタヒんだことにしてるんですけど、生き返らせたかったらお祝いよろしく!」と電話がきたらしい。
対応したオカンが「タヒんだままで結構!」と返したらものすごいふぁびょってたみたい。

弟嫁、結構アレなキャラだったんだなぁ。


946 :名無しさん@HOME 2013/05/02(木) 21:11:02 0
流れ切って。

両親だと思ってた人が、姉とその夫だった。
私たちの実の母親は超絶DQNで、17歳で出産後、姉を実家に預け失踪。
父親はわからず、祖父母もこれまた猛毒だったため、姉はずっと一人で生きてきた。
社会に出て理解のある男性にも出会い、ようやく幸せな家庭を築くことができたころに
母が現れ「あんたの妹だから」と私を置いていったらしい。
最初は施設に預けることも検討したのだが、あの人の犠牲になる子供は自分だけで十分だと、離婚して私を引き取ることを決意。
しかし、義兄は離婚を受け入れず、二人で育てることに…というのが一連の流れだった。
下に弟妹もいるのだが、姉も義兄も分け隔てなく育ててくれたし、義兄の両親も同じくだったから思いもよらないことだった。
当時は絶賛厨二病だったので、自分にもそんなDQNの血が流れているのかと、大変に悩んだ。
だが事実を告げられたあとも、生活は変わらなかったので、今も幸せにやっている。

661: おさかなくわえた名無しさん 2013/12/07(土) 14:37:14.10 ID:JwCacJuP
双子で生まれて兄に先天性の障害&病気があったもんで 
両親が「2人も育てられないし健康な弟が身近にいたら兄が可哀相」と 
俺を遠方の祖父母に預けた

そこから一度も会いに来ないまま10年以上経過 
祖父母が病気で俺の面倒を見られなくなったら 
今度は子どもがいない夫婦に養子に出された 
両親曰く「自分たちに何かあった後、双子兄に残した財産をかすめ取られてはたまらないから」とのこと 
幸い養子に行った先の両親がものすごくいい人達で今はどっから見ても普通の親子 
よく父親似と言われるくらい 
大学まで出してもらって目指していた仕事にも就いた
今は仕事の都合で養家を離れてるんだが
先日、養家に実母から「俺に会いたい」って連絡があった
双子兄は去年亡くなったとのこと

正直、顔も知らない実両親と今さら関わりを持ちたくないが
双子兄のことを考えれば実両親の選択もやむを得ないことだったとも思うし
双子兄に手を合わせたい気持ちもあるので会うことにした
これから行くんだが今の心境がものすごい修羅場
緊張というか怖いというか
書き逃げごめん


536: 名無しさん@HOME 2011/10/12 11:22:33
子供時代のぷちぷちをひとつ
うちの両親、祖父母、伯母にとっての修羅場

30年以上前、当時の私2歳
母は妊娠中、近距離別居の父方祖父母の元に遊びに行っていた時のこと
台所に走り込んで、そこにあった灯油ストーブに激突
最近は滅多に見かけない昔のストーブで上の鉄板部分でお湯を沸かしたり餅を焼いたりできるやつで
ちょうど残り物の味噌汁の鍋を温めていて、煮詰まった熱々の味噌汁を真上からひっかぶった
背中一面に火傷、病院に搬送されて入院、高熱を出したりして結構大変だったらしい
2歳の頃のことなんて他は全然覚えてないけど、この時のストーブに向かって突っ込んでいった瞬間と
台所でものすごい形相の母と伯母にお椀だか洗面器だかでざばざば水を掛けられている時のことは
おぼろげにだけど記憶にあるんだよね、子供なりに相当ショックだったのかなと思う、まあ自業自得だが
小学校低学年の時、一緒にお風呂に入ったじいちゃん(今は故人)が背中を洗ってくれながら
「ほとんど痕が残んなくって本当によかったなあ」と噛みしめるように言ってくれた言葉が今でも忘れられない

当時お腹に弟がいて、重い妊娠中毒症の症状でかなりきつい妊婦生活だったところに
私の入院中の世話だの何だのと面倒事が増えて相当大変な思いをしたらしい母が一番修羅場だったと思う
だというのに、私は熱が下がった途端にけろりと元気になり
病院食を嫌がって寿司が食いたいだのうどんが食いたいだのとわがまま言いまくり
病院の周囲にお店がないのよごめんねーと誤魔化すも
「入口を出てあっちに曲がるとお寿司屋さん、こっちに行くとうどん屋さんあるもん!」と
何故か周囲の店の位置情報をばっちり記憶していた私に、母はかなり辟易したらしい
あの当時の記憶力をどうして大きくなってからの勉強などに生かせなかったのかと未だに言われる


このページのトップヘ